
なぜ「五反田」と呼ばれるの?田んぼ5反分から高級住宅街・IT拠点へ遂げた歴史と魅力の謎
はじめに:みんなが知っている「五反田」の、誰も知らないルーツ
JR山手線、都営浅草線、東急池上線が乗り入れ、都心へのアクセスが抜群な人気エリア「五反田」。
「五反田バレー」と呼ばれるITベンチャー企業の集積地としてビジネスパーソンに親しまれているほか、洗練された飲食店や住みやすい住宅街が広がり、一人暮らしからファミリーまで多くの方に愛されている街です。
しかし、普段何気なく「五反田駅で待ち合わせね」「五反田でご飯を食べよう」と口にしているこの街の名前について、「なぜ『五反田』という名前がついたのか?」と考えたことはありますか?
「『反』ってどんな意味?」「何かおめでたい成り立ちがあるの?」
実は、五反田という地名の裏には、江戸時代の素朴な田園風景から、武家屋敷、工業地帯、そして最先端のIT都市へと変貌を遂げた「知られざるドラマ」が隠されているのです。
今回は、知れば知るほど街歩きやお部屋探しが楽しくなる「五反田」の地名の歴史と進化の謎を徹底解説します!
1. 地名の由来:「田んぼ5反分」という超ローカルな目印だった!
まず、最も気になる「五反田」という名前の由来から解き明かしていきましょう。
① 「反(たん)」は昔の面積の単位
「五反田」という漢字の鍵を握るのが「反(たん)」という言葉です。
「反」とは、昔の日本(太閤検地など)で土地の面積を表すために使われていた単位です。
1反 = 約991.7平方メートル(およそ300坪)
つまり、「5反」はおよそ5,000平方メートル(約1,500坪)となります。これは、現代のサッカーグラウンド(約7,140㎡)よりやや小さめ、小学校のアリーナ(体育館)数個分くらいの広さにあたります。
② 最初は村の名前ですらなかった!?
江戸時代初期、現在の五反田駅周辺(目黒川沿いの低地)は「上大崎村」や「下大崎村」と呼ばれる農村の一部でした。
この目黒川沿いの湿地帯に、「およそ5反ほどの小さな田んぼ(区画)」が広がっていたのです。周囲の農民たちが「あの5反の田んぼがあるあたり」「五反の田んぼ」と呼んでいた通称が、やがて土地の目印として定着し、「五反田」という地名が生まれました。
驚くべきことに、元々は公式な村の名前ですらなく、「あの5000平米くらいの田んぼのへん」という超ローカルな呼び名がルーツだったのです。
これが、数百年の時を経て日本有数の繁華街・ビジネス街の駅名になるとは、当時の農民たちも夢にも思わなかったことでしょう。
2. 江戸から明治へ:農村から「城南五山」の高級住宅街へ
目黒川沿いの低地(五反田駅周辺)が「5反の田んぼ」だった一方で、その周囲を囲む「高台エリア」は全く異なる歴史を歩んでいました。
① 大名の屋敷が立ち並んだ「城南五山(じょうなんござん)」
五反田・目黒・品川に挟まれた高台エリアには、江戸時代、大名の下屋敷(別荘や庭園)や武家屋敷が数多く置かれていました。
現在でも「高級住宅街」として名高い以下の5つの高台は、総称して「城南五山」と呼ばれています。
池田山(いけだやま):備前岡山藩主・池田家の下屋敷があった場所(現:東五反田5丁目付近)。現在は「池田山公園」や閑静な邸宅街として知られています。
御殿山(ごてんやま):徳川将軍家の品川御殿があった場所(現:北品川6丁目付近)。
島津山(しまづやま):薩摩藩主・島津家の上屋敷があった場所(現:東五反田3丁目付近)。現在は清泉女子大学のキャンパスとなっています。
花房山(はなぶさやま):明治の外交官・花房義質子爵の邸宅があった場所(現:上大崎3丁目付近)。
関東山(かんとうざん):旧品川主殿頭の下屋敷や陸軍病院があった場所(現:東五反田4丁目付近)。
② 明治維新を経て「近代的な邸宅街」へ昇華
明治時代に入ると、これらの武家屋敷跡地には政財界の重鎮や皇族、文化人の邸宅が建ち並ぶようになりました。
低地の「交通・流通の利便性」と、高台の「緑豊かな静寂と治安の良さ」。五反田周辺は、早くから「仕事と住まいが理想的なバランスで融合した地」としての骨格を作り上げていったのです。
3. 大正・昭和・平成:川沿いの「工場街」から「日本のシリコンバレー」へ
「農村」からスタートした五反田ですが、近代に入ると日本を代表する「ものづくりとITの街」へとダイナミックな変貌を遂げます。
① 目黒川の水運と鉄道がもたらした「工業地帯」の時代
明治38年(1905年)、山手線に「五反田駅」が開業しました。さらに東急池上線や都営浅草線が接続し、交通の要衝となったことで、目黒川沿いには多くの工場が集結するようになります。
特に有名なのが、ソニー(SONY)の創業の地(旧本社)が大崎・五反田エリアにあったことです。
ラジオやテレビ、ウォークマンなど、世界を驚かせる電子機器がこの地で次々と生み出され、五反田・大崎周辺は日本の高度経済成長を支える「技術とものづくりの街」として黄金期を迎えました。
② 平成の再開発と「五反田バレー」の誕生
平成に入り、工場が郊外へ移転すると、大規模な跡地再開発がスタート。超高層オフィスビルや大型ショッピングモール、タワーマンションが相次いで建設されました。
そして2010年代半ばから急浮上したのが、「五反田バレー(一般社団法人五反田バレー)」のムーブメントです。
なぜITベンチャー企業が五反田に集まったのか?
交通アクセスが抜群:山手線で品川・渋谷・新宿・東京へ直通、羽田空港へもアクセス容易。
賃料のバランスの良さ:渋谷や六本木に比べてオフィス賃料がリーズナブル。
豊かな食文化と街の活力:遅くまで営業している安くて美味しい飲食店や居酒屋が多く、社員同士のコミュニケーションが生まれる。
現在ではスタートアップから上場IT企業まで数百社が集まる「日本のシリコンバレー」として、若く活気に満ちたビジネス街へと深化を遂げています。
4. 歴史を知ると見えてくる!現代の五反田が「住みやすい」3つの理由
「田んぼ」から「大名屋敷」「工場街」「IT拠点」へと時代ごとに姿を変えてきた五反田。
歴史の変遷を紐解くと、現代において五反田が「住みたい街・住み続けたい街」として高い評価を得ている理由がはっきりと見えてきます。
① 歴史が育んだ「高台の落ち着いた住環境」と「駅前の利便性」のギャップ
五反田駅前は賑やかな飲食店や商業施設が充実しており、日々の買い物や外食に一切困りません。
しかし、駅から徒歩5〜10分ほど歩いて高台(池田山・島津山方面)へ向かうと、そこには都心とは思えないほど静かで緑豊かな住宅街が広がっています。「賑やかで便利な駅前」と「静かで安心な住環境」が目と鼻の先で両立していることこそ、五反田の最大の魅力です。
② 多様性を受け入れる「食文化の懐の深さ」
江戸時代の宿場町(品川宿)にも近く、昭和の工場街、平成・令和のIT拠点として発展してきた歴史から、五反田には洗練された高級フレンチから、昔ながらの人情味あふれる定食屋、トレンドのカフェやエスニック料理まで、あらゆる食の選択肢が揃っています。
一人暮らしの外食でも、ファミリーでの休日のお祝いでも、街全体が温かく迎えてくれます。
③ 目黒川の桜と四季を感じる自然環境
かつて田んぼを潤していた目黒川は、現在では都内屈指の桜の名所(目黒川の桜並木)として親しまれています。
満開の春には川沿いがピンク色に染まり、新緑の夏、秋の紅葉、冬のイルミネーションと、四季折々の自然を感じながら散歩やランニングを楽しめる最高のロケーションとなっています。
まとめ:歴史のロマンが詰まった五反田で、快適な暮らしを
「田んぼ5反分」という素朴な目印から始まった「五反田」。
時代ごとに変化を重ねながらも、常に人々の活力と魅力にあふれてきたこの街には、ただ便利なだけではない「歴史の奥行きと住み心地の良さ」が詰まっています。
街の歴史や地名の成り立ちを知ってから五反田の街を歩いてみると、見慣れたビルや道路、目黒川の風景が、これまで以上に愛おしく感じられるのではないでしょうか。
ぜひ、歴史と現代が心地よく調和する五反田エリアで、あなただけの快適な暮らしを見つけてみてくださいね!
五反田・城南エリアのお部屋探しなら「株式会社ロイヤルホーム」へ!
「五反田・目黒・品川・大森周辺で、自分の生活スタイルに合った賃貸物件を探したい」
「池田山周辺などの静かな住宅街で、治安が良く安心できるお部屋を内見してみたい」
「初めての城南エリアで、実際の街の雰囲気や利便性についてプロに相談したい」
品川区東五反田に拠点を置く株式会社ロイヤルホームは、城南エリア(五反田・目黒・大森・品川・戸越など)に特化した地域密着の不動産会社です。
ネットの情報だけではわからない「街の歴史や住みやすさ」「実際の治安」「おすすめのスーパーや飲食店」まで、地元を知り尽くしたプロのスタッフが親身になってご案内・内見のサポートをいたします。
五反田エリアでの理想のお部屋探し・内見のご予約は、どうぞお気軽に株式会社ロイヤルホームまでお問い合わせください!
株式会社ロイヤルホーム
所在地: 東京都品川区東五反田
TEL: 03-3495-2701