【歴史・植物学】なぜ「御殿山」の桜は江戸時代から有名だったのか?徳川家光が仕掛けた都市プロデュースと桜の科学の画像

【歴史・植物学】なぜ「御殿山」の桜は江戸時代から有名だったのか?徳川家光が仕掛けた都市プロデュースと桜の科学

街の由来と歴史

【歴史・植物学】なぜ「御殿山」の桜は江戸時代から有名だったのか?徳川家光が仕掛けた都市プロデュースと桜の科学

春になると、日本全国を美しく彩る桜の花。

東京都内には数多くの桜の名所が存在しますが、品川区北品川に位置する「御殿山(ごてんやま)」は、実に400年近く前の江戸時代初期から「江戸屈指の桜の名所」として人々を魅了し続けてきた、極めて歴史の深い場所です。

広重や北斎といった浮世絵師たちもこぞって描き、江戸の庶民がこぞって押し寄せた御殿山のお花見。

しかし、なぜこの品川の高台がそれほどまでに有名な桜の名所となったのでしょうか?

そこには、江戸幕府3代将軍・徳川家光による緻密な「都市プロデュース(観光政策)」と、日本の桜の歴史を語る上で欠かせない「植物学的な工夫」が存在していました。

今回は、御殿山の桜に秘められた歴史ロマンと、日本人が愛してやまない桜の科学を徹底解説します!

1. 「御殿山」の名の由来と徳川家光の秘策

まず、なぜこの地が「御殿山」と呼ばれるようになったのでしょうか。

その由来は、江戸時代初期に徳川将軍家の鷹狩り(たかがり)の際の休息所として、この高台に「品川御殿」が建てられたことに始まります。

武蔵野台地の東端に位置するこの場所は、眼下に穏やかな品川の海(江戸湾)を見渡し、房総半島までをも一望できる抜群の眺望を誇る超一等地でした。

徳川家光が仕掛けた「江戸の行楽地プロデュース」

この風光明媚な御殿山を、ただの将軍家のプライベートな敷地にとどめず、一大観光地へと変貌させたのが3代将軍・徳川家光です。

家光は、奈良の桜の名所として名高かった「吉野(奈良県)」から、数千本ものヤマザクラの苗木を取り寄せ、この御殿山の地に一大プロジェクト(大規模な植樹工事)で移植させました。

当時、平和が訪れたばかりの江戸の街には、庶民が日常の疲れを癒やし、憩うための「パブリックスペース(公園)」がほとんど存在していませんでした。

そこで家光は、将軍家のゆかりの地である御殿山を一般庶民にも開放し、「江戸で一番の桜の名所」として整備したのです。これは現代でいう都市公園の先開けであり、高度な観光都市プロデュースの一環でもありました。

2. 浮世絵にも描かれた!江戸庶民が熱狂した御殿山のお花見

家光の狙いは見事に当たり、元禄時代(江戸中期)を迎える頃には、御殿山は「東の飛鳥山(北区)、南の御殿山」と称されるほどの超人気スポットへと成長しました。

歌川広重の『名所江戸百景』や葛飾北斎の作品にも、満開の桜の下で酒を酌み交わし、踊り、品川の海を眺めながらお花見を楽しむ江戸っ子たちの賑やかな姿が描かれています。

なぜ江戸っ子は御殿山を目指したのか?

  1. 「海」と「桜」を同時に楽しめる唯一無二のロケーション: 高台から満開のピンク色の桜越しに、青い海と行き交う弁才船(千石船)を眺めることができるロケーションは、江戸市中でも御殿山だけでした。

  2. 品川宿という宴の場がすぐ近くにあった: 東海道の第一の宿場町「品川宿」が目と鼻の先にあったため、花見を楽しんだ後に宿場の茶屋や料亭で宴会を続けるという、最高の行楽ルートが確立されていたのです。

3. ヤマザクラからソメイヨシノへ!植物学で解明する桜の変遷

江戸時代に家光が植えさせた桜と、私たちが現代の御殿山や街中で目にしている桜には、実は植物学的に大きな違いがあります。

江戸時代の桜=ヤマザクラ(山桜)

家光が吉野から移植させたのは「ヤマザクラ」という野生種の桜でした。 ヤマザクラの特徴は、「花と葉が同時に開く」ことです。また、個体ごとに遺伝子が異なるため、開花時期が少しずつズレます。そのため、江戸時代の御殿山のお花見は、数週間にわたってゆっくりと様々な木々が順番に咲き誇る風景を楽しんでいました。

明治以降の桜=ソメイヨシノ(染井吉野)

一方、幕末から明治時代にかけて誕生し、現代の日本の桜の約8割を占めるようになったのが「ソメイヨシノ」です。

  • 葉が出る前に「一斉に花だけが咲く」という極めて華やかな特徴を持ちます。

  • ソメイヨシノはすべて1本の原木から接ぎ木(クローン)で増やされたため、同じ地域の木は「同じ気温になると一斉に咲き、一斉に散る」という特性を持ちます。

明治時代以降、御殿山をはじめとする全国の名所にもソメイヨシノが植樹され、現代私たちが目にする「短期間で街全体がパッとピンク色に染まる」というダイナミックなお花見景観へと進化していったのです。

4. 台風や黒船来航を乗り越えて…現代へ受け継がれる御殿山の緑

江戸時代に栄華を極めた御殿山ですが、実は歴史の荒波によって大きな変化を経験しています。

幕末の1853年、ペリー率いる黒船が来航した際、江戸幕府は品川沖に海上砲台「台場(おだいば)」の建設を急ピッチで進めました。このとき、台場を築くための「土砂」として削り取られたのが、なんと御殿山の一部の山体だったのです。

さらに明治時代には鉄道(現在のJR東海道本線)を通すために山が切り開かれ、地形は大きく姿を変えました。

しかし、どれほど時代が変わり、地形が変化しても、この土地に根付いた「桜を愛でる文化」が消えることはありませんでした。

現代の御殿山エリア(御殿山トラストシティ周辺など)には、広大な日本庭園や美しい桜並木が大切に整備・保全されており、毎年春になると今も変わらず見事な桜が咲き誇り、地域の人々やオフィスワーカーたちの心を癒やしています。

5. まとめ:400年の歴史に思いを馳せて桜を歩こう

なぜ品川の御殿山は桜の名所として知られているのか?

その裏側には、徳川家光による平和な都市づくりへの熱い想いと、海と高台が織りなす地理的な奇跡、そして時代を超えて桜を愛し、守り続けてきた人々の知恵が存在していました。

普段何気なく通り過ぎている品川・御殿山エリア。

春の散策はもちろんのこと、新緑や秋の季節であっても、その土地に刻まれた400年の歴史と将軍家の面影を感じながら歩いてみると、いつもの風景がより趣深く特別なものに感じられるはずです!


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